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mixiアルバム「新宿区西早稲田 (早稲田) ・早稲田大学 ・大隈庭園 ・大隈重信 ・史跡:高田馬場(たかたのばば)/」
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000048757448&owner_id=32815602
2012年01月28日 13:35

●西早稲田――
にしわせだ。
概ね神田川に接し、これを境に豊島区高田、文京区関口に接する。
早稲田大学のメインキャンパスがある所。
学生街特有の町並みで、飲食店街と、神田神保町に次ぐ古書店街と言われている。

※早稲田――
最初に刈り取りが行われる田、最初に田植えが行われる田を意味する。転じて、早く収穫する品種の稲が植えられた田を指すこともある。早田と書くこともあり、この場合、「はやた」と読むことがある。
明治以前は水田が大部分を占める農村だったが、東京専門学校(現 早稲田大学)が開学したことにより学生街、文教地区に発展した。

※大隈庭園は戸塚町1丁目。

●早稲田大学――
明治15(1882)年、大隈重信が創立した東京専門学校が前身。
明治35(1902)年、早稲田大学と改称。
大正9(1920)年、大学令に基づく大学となった。

●大隈重信――
おおくま しげのぶ。
天保9(1838)年〜大正11(1911)年。
佐賀藩。政治家。教育者。
位階は従一位。勲等は大勲位。爵位は侯爵。
政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣(第3・4・11・14・29代)、農商務大臣(第13代)、内閣総理大臣(第8・17代)、内務大臣(第30・32代)、貴族院議員。
早稲田大学創設者、初代総長。



●高田馬場跡――
寛永13(1636)年、将軍家光により旗本達の馬術の訓練や流鏑馬などのための馬場が造営された。
一説に、この地が家康の六男で越後高田藩主だった松平忠輝の生母、高田殿(茶阿局)の遊覧地(景色のよい遠望を楽しむために庭園を開いた所)であったことから、高田の名をとって高田馬場としたとする。だがそれ以前に、この一帯が高台である地形から俗称として高田とも呼ばれていたためその名を冠したとも、その2つの由来が重なったためとも言われている。

現在の地名はたかだのばば。
史跡はたかたのばば。

明治43(1910)年、地元の鉄道駅設置の請願運動により山手線に駅が開業したが、鉄道院は駅の所在地名(地元の要望は上戸塚、諏訪森)を採用せず、駅から1km程離れた史跡の高田馬場(たかだのばば)を駅名に採用し、後に開業する鉄道2線もこれに倣った。
昭和50(1975)年、住居表示による町名変更の際、新宿区は駅周辺の町名をそれまでの諏訪町、戸塚町1〜4丁目などから、駅名と同じ高田馬場(たかだのばば)に変更して1丁目〜4丁目を割り振った。
しかし、史跡の高田馬場跡は西早稲田3丁目となったため、町名と史跡の場所が一致しない状態になった┐(○`ε´○)┌

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